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2012年06月25日

読書日記 Vol.016『こうして世界は誤解する』

『こうして世界は誤解する』
ヨリス・ライエンダイク著、田口俊樹、高山真由美訳
英治出版

報道特派員として中東に5年在住していたオランダ人ジャーナリストのメディア本。

日常生活では知ることのできない中東のリアルと多面性が垣間みられると共に、日本の報道にも共通するメディアの本質を深く考えさせられる一冊。


本書の極論は、メディアとは「真実を伝えるもの」ではなく、「例外を伝えるもの」であるということ。
(既読のメディア本とも一貫する内容です。)

特に中東関連の報道ではそれが曲解を生んでしまうとのこと。

我々が"中東"という単語で真っ先に思い浮かべるのは、内戦、爆弾テロ、難民など。

これはメディア発信の情報によるイメージが先行してしまっているからであり、かつ、それらの国々の日常生活を知る術が今現在存在しないためである。

なぜか。
それはこれらの国々が民主主義国家ではなく独裁国家だから。

メディア操作が国家戦略の大きな要であるこれらの国々は、戦争やデモなどの情報も歪め自国に有利に発信することが日常であり、そこにはリアルな国民生活は全く出てこないですよね。ということ。

内戦が勃発している国でも人々は普通に生活もしており、ショッピングや食事なども楽しんでいる。
しかし、そのような場面はおおよそニュースでは取り上げられない。

著者はジャーナリストの役割としてそんな背景情報も伝えるべきだと信じて行動するのですが、先述した通り、メディアは例外(変化)を伝えるものであり、オランダ本社での扱いはゼロに等しかったエピソードも。
(またそもそも監視の目が厳しく外に出せる情報にも限界があった。)

結果、背景情報なしでは取り上げている内戦や爆弾テロの根源的なストーリーも説明が付かず、メディアは分かりやすさ重視で安直に"戦争ははやく終結すべき"、"テロは絶対悪"といった内容で垂れ流してしまう。

これにより、多くの人々には誤解を与えてしまうし、また一義的に物事を捉えるような方向へと導いてしまう。
いつも言ってる多面性が失われ、思考が偏るということ。

爆弾テロひとつ取っても、国によってその意味合いが異なって報道されている。
これを認識することがメディアリテラシーなのだと感じます。

日本の原発問題なども他国でどのように報道されているかを日本人はもっと知るべきだし、日本メディアも取り上げるべき。
(自分も大して知らないけど、日本のメディアは全く取り上げないよね。)

そして本書については、安直に反原発やら戦争反対やら叫んでる方々に是非一読いただきたい。
自分たちの言葉が如何に貧弱かを知ることができるから。

投稿者 nobuhiro : 21:38 | コメント (14) | トラックバック

2012年06月03日

読書日記 Vol.015『閉じこもるインターネット』

『閉じこもるインターネット』
イーライ・パリサー著、井口耕二訳
早川書房

ネット(特にGoogleやFBなど)を多用される方には是非とも読んでほしい一冊です。

近年Webのパーソナライズ化が急進。

Googleでは、数年前から同一用語の検索について個人ごとに結果が変わるようになった。
目的は勿論広告のため。(名目上、ユーザのためとは言っているが)

ただ、ユーザ側からしても、やはりメリットはあるだろう。
知りたい情報がすぐに見つかるようになるかもしれないし、欲しかった商品がすぐに手に入るかもしれない。

しかし、隠れたデメリットが実に大きい。

自分の興味・関心の強い情報だけが入ってくる世界。

そこでは想定外の出会いがないことにより、価値観の幅が広がらず成長・革新のチャンスが損なわれる。(セレンディピティの喪失)

また、自身の意見を増長させる情報ばかりが入り、さらにその言動を強めてしまう。

わかりやすい例だと、原発推進派・反対派について。

検索結果や周りに集まる人からの発信情報は自分の考えにフィットした情報が殆どとなる。
それにより言動はより強固になり、その後の収集情報もさらに偏った内容が多くなる。
これを繰り返すと、結果として極論に行き着いてしまう。

本来多角的視点を基にした適正なバランスを計るべきなのに。

また厄介なのは、このフィルターは当人の意識なしで行われているということ。

勝手に収集された個人データの分析結果から、勝手に知らないところでフィルター化された情報が入ってくるのだ。
それによる変化は購買行動に留まらず、政治・世論にまで及ぶ力があるという。

そして最大の問題はそれをいくつかの私企業が企業内のブラックボックスな方針により実行していること。

深い話ですが知るに値する問題だと思う。

この考えを前提として持つのと持たないのとではWebとの付き合い方、収集した情報に対する所見も変わるはず。
メディアリテラシと共に少しでも多くの人がこの状況を把握し、行動してほしいと思います。(当然自分含めて)


なお、本書後半、クリストファー・アレグザンダーの『パタン・ランゲージ』と繋げたところが率直に痺れました。
そもそも本筋の建築業界以上にソフトウェア業界では受け入れされてきた思想だけれども、それがネット世界にも当てはまるというのはとても感慨深い。

この『パタン・ランゲージ』は是非とも読みたい一冊なのですが未だに手を付けれていない。
何せ1万円もするので。。。


また、上記の「セレンディピティ」について。

最近巷でも良く聞くワードになりつつありますが、個人的に非常に共感している概念なのです。

それもあって様々なジャンルの書籍を読むよう努めているつもりなのですが、まだまだ偏りは激しいですね。。。

投稿者 nobuhiro : 11:35 | コメント (14) | トラックバック